全国農業青年クラブ

【沿革】
1.農業青年クラブの誕生(昭和20年代)
農業青年クラブは、昭和23年(1948年)に、アメリカの4Hクラブをモデルにしてつくられた。しかし、アメリカの4Hクラブは年少者を主な対象にしていたので、そのまま導入することは不適切な点があり、年齢区分により「4Hクラブ」と「青年農業改良クラブ」に分けて組織がつくられることになった。
農業改良普及所(現在の農業改良普及センター)が中心になり、積極的な呼びかけが行われ、昭和24~25年頃には旧村単位に農業青年クラブが数多く誕生した。最盛期には全国で2万5千クラブ、クラブ員数は70万人を数えることになる。
当時は第二次世界大戦直後であり食糧難の状況が続いていた。そのような状況の中で、農業青年達は農業技術や農家生活の向上を目指して、仲間づくりを中心に活動の輪を広げていったのである。
昭和27年には、第1回全国農村青少年クラブ実績発表大会が開催され、農業青年の仲間づくりと農業技術、農家生活の研究成果の交換が行われることになった。

2. 農業青年クラブの激変(昭和30~40年代)
昭和20年代に増加の一途を辿った農業青年クラブも、昭和30年代から一転して減少し、昭和35年には1万3千クラブになった。社会は高度経済成長時代に入り、農村から多数の若い労働力が流出したのである。
日本農業も昭和36年の農業基本法の制定を契機に、園芸、畜産等の選択的拡大が進められ、自給的農業から商業的農業へ移行する。この間、農業青年のクラブ活動自体は部門別学習などが活発化したものの、クラブ員の減少により単位クラブの体制を維持できなくなり、隣接する単位クラブと合体して活動するクラブも出現するようになった。
このような状況の中で、全国の農業青年クラブ相互の連携を強化するため、昭和30年に「全国農村青少年クラブ連絡協議会」が結成された。この全国農村青少年クラブ連絡協議会は、37年に「全国4Hクラブ連絡協議会」と改称され、さらに48年には、現在の「全国農業青年クラブ連絡協議会」に名称変更されることになる。こうして市町村段階の単位クラブから地区連協議会、県連絡協議会、ブロック連絡協議会、そして全国農業青年クラブ連絡協議会まで5段階の組織体制が確立したのである。

3. 農業青年クラブの変貌(昭和50年代~現在)
昭和50年以降現在に至るまで、農業青年クラブ数並びにクラブ員数は依然として減少傾向が続く。農業青年クラブの数を年代で比較すると、昭和55年には4,400クラブ、平成6年には2,600クラブと、10年間で半減する。またクラブ員数もクラブ数と同様、大きく減少している。
このため市町村によっては、単位クラブの存続が困難になり、市町村を越えての広域的な組織再編が進む。こうして組織の強化と交流の範囲拡大化が図られようとしているのである。
近年に至り新規就農者の状況も変わってきた。新規学卒就農者よりUターン就農者の方が増えるとともに、非農家出身の新規参入者も増えつつある。こうした現象は、新しい価値観で農業を職業として選択する青年が増えていることの表れともみられる。
クラブ活動も変わりつつある。消費者との交流、他産業青年との交流、ボランティア活動など、外部に向けた活動が活発になってきた。これは、農業青年とそのクラブの存在はもちろんのこと、農業を社会にアピールする活動とみられる。
このように、農業青年クラブの現在は、クラブ数、クラブ員数ともに少なくなってきたものの、クラブの広域化による新しい組織体制の構築、年齢にこだわらないクラブ活動年数の長期化、新しい企画による活動内容の充実など、クラブ活動の活性化に向けて、リーダー、メンバーが一体となって、熱心な取り組みを全国各地で進めている、と言えるのである。

 

 


【全国農業青年クラブ連絡協議会規約】
第1章 総則 より
[第1条]
本会は全国農業青年クラブ連絡協議会(以下本会と称す)といい、その事務局を東京都港区赤坂1丁目9番13号三会堂ビル地下1階 社団法人全国農村青少年教育振興会内に置く。
[第2条]
本会は加盟都道府県の連絡提携により、クラブ員の健全なる発展を計り、日本農業および農村社会に貢献することを目的とする。
[第3条]
本会は前条の目的に賛同する都道府県農業青年(4H)クラブ連絡協議会(以下都道府県連という)をもって組織する。
[第4条]
本会は第2条の目的を達成するため次の事業を行う。
1.都道府県連の連絡協調及び組織強化
2.クラブ活動に関する資料の蒐集及び紹介
3.クラブ員相互の親睦及び研鑽
4.関係機関及び団体との連携
5.その他目的達成に必要な事項